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初代 信国(しょだい のぶくに、生没年不詳(応安2年(1369年)没か)、命日5月14日追号實山一峯〔「信国系図」(個人蔵)〕)は、南北朝時代の山城国(京都)の刀工で了戒(正応3年(1290年) - 正和3年(1314年)の在銘刀)の弟子〔「信國初ノ系圖代々祖子付之事」慶長6年(1601年)3月28日信国吉貞筆、寛政3年(1791年)写本(福岡藩旧蔵『福岡藩仰古秘笈』巻25(信国吉貞家伝)所収、福岡県立図書館蔵)〕。来-了戒様式に加え、長谷部国重とともに山城国に相州伝を残す。大進房様式の梵字・刀身彫は行光-正宗-貞宗から信国にも継承される。 信国派の祖。新藤氏〔水原庄太郎著『岩手郷土刀匠考』p.10〕か。 == 生涯 == 在世中の文書は未出で文明15年(1483年)頃の『能阿弥本銘尽』〔『能阿弥本銘尽』文明15年(1483年)頃〕に「信国 五条坊門堀河ニ住ス 今ニ信国ト打 建武(1334年-1335年)ノ比ヨリ二三代イツレモ信国ト打」と記されるが建武銘は現存せず、通説は「延文三年(1358年)十二月日」(短刀)〔 に解説とp.10に銘の画像がある。〕頃から貞治五年(1366年)十月(短刀、1941年重要文化財指定〔注7,p10に銘の画像がある。「国指定文化財等データベース」にて「信国」検索、「短刀〈銘信国/貞治五年十月〉」を選択 http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/index_pc.asp 〕)頃までとし、建武説を要検討としている(〔佐藤寒山「山村住信国の研究」『刀剣美術』5号(1950年)に、信国初代の弟弥五郎信国の弟子で越後山村正信の子山村信重の「正長元年(1428年)」の銘から建武信国もあり得るとの説。〕)。 筑前初代信国吉貞が慶長6年(1601年)に記した注2〔には、「元応(1319年-1320年)頃(中略)帝ヨリ勅勘有(中略)末世ニ名ヲ留メント了戒手ニ付キ鍛冶執行数十年(中略)以後京五條坊門ニ住ミ、初テ信國ト打」と記されており、能阿弥本どおり建武信国もあり得る。 享保4年(1719年)、徳川吉宗の「享保諸国鍛冶御改」で信国重包が藩へ届出た「信国系図」〔信国重包届出「信国系図」()〕に「初代信国 延文年中五条坊門ニ住ス 元来来国行伝ヲ受後鎌倉貞宗伝ヲ受初テ信国ト打」と記され、また、信国吉貞と別系図の注1〔にも「国吉-国行-国俊-来国俊-了戒-国久-信国 長谷部式部丞京五条坊門住ス延文比鎌倉貞宗門入テ伝授」と記される。 了戒との関係は諸説あり『長享本銘尽』では以下のとおり〔『長享本銘尽』〕。 信久-信国┬信定 └定国 後ニ信国ト打口伝在之 有力説は『元亀元年刀剣目利書』である〔『元亀元年刀剣目利書』〕 了戒┬了久信-信久┬信国祖父─信国親┬信国孫┬信光 └国久 └信国源五郎 └了一 └定国 貞宗との関係は慶長16年(1611年)頃筆『古今銘尽』に「鎌倉貞宗老後ノ時鍛冶稽古す延文ノ比 此作信久子と云相違也国久子也(中略)右ノ一類系図にくわしく見えたり」〔『古今銘尽』〕と記される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「信国 (初代)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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